https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55940010R20C20A2FFN000/(2020/2/21 22:15日経ネット:シンガポールのeスポーツ企業レイザー、ネット銀参入 8000万人のゲーマーに照準)
先日、このブログに『「金融サービス仲介業」のニュース』という文章を投稿して、「これからの金融および決済ビジネスは、コミュニティや特定の経済圏をベースに複数形成されるだろう、という予測を漠然としている」と書いた。
日本ではこの間書いたように、これから資金決済法の改正で決済業者を3段階に色分けすることから始めるようだ。シンガポールの金融通貨庁(MAS)は昨年の夏にネット専業銀行の免許を新規参入企業を募り、その結果がこの記事にあるレイザーあるいはグラブ、TikTokなど、になるわけだ。
シンガポール政府の対応は世の中に先んじていると思う。このレイザーやTikTokのケースでは、「エンタメやE-コマースのような独自サービス→コミュニティ化→電子マネーなど決済→銀行として複合サービス」、という動きになっている。順序がこうであるべきとか、最後に行き着くのが銀行業務だ、などという気はない。むしろ、「コミュニティ」「経済圏」を軸に決済手段(その裏の個人情報)を握って、複合的に“つなげる”ビジネスの動きが、これから一気に、かつグローバルに展開していくであろう、と思う。
保守的な日本という国にいると、今の銀行のような古い形態の企業の側が、新しい企業を吸収して新たに展開していく、という発想が強い気がする。でも、それら古臭い巨大戦艦ではイノベーションは起こせない。日本と比べ平均年齢もぐっと低い東南アジアで展開する活力のあるこういう新サービスに、今後、日本のレガシー企業たちはあっという間に飲み込まれてしまうのかもしれない。そうでないことを祈りたいが。
先日、三菱UFJ銀行がこの記事にも出ているグラブ(東南アジア版Uber。すでにそれを軸に放射状的にサービスを広げている)に出資する、という記事が出ていた。日本はこのような形でしか存在感を示せないのだろうか。
自分がいま進めようとしている「アド・コマース」の取り組みが、正直、まったく期待通りにいかないので、忸怩たる思いだ。笛吹けど踊らず。いや、面前で笛吹けど音色など全く届いかないのだ。異次元空間で叫ぶような虚しさだ。
ソースは忘れたがユーチューブ動画で元NTTドコモ、現ドワンゴの夏野さんが「年功序列に象徴される、古い価値を改められない日本人のマインドセットを転換し、常に変化し成長を求める人物、動きを尊重する社会にするべきだ」「人間が成長を希求するかどうかは年齢ではない。若くても老成する人もいる。逆に、おっさん差別もやめるべき」という趣旨の発言をしていて、大いに同感した。でも、現実といえばどうだろう。
今の世の中は、会社や組織や代表される、「大きなもの・大樹」の中の一人一人の顔もわからないような人々の集合体が、「変わる必要? そんなものないね」「変わるべきなのはわかるが、自分には関係ない」「うちの組織が金にものを言わせればいいだけじゃん」といった漠然としたコンセンサスで“これまでの社会”を継続させようとしてきた。その結果が日本の「失われたウン10年」だ
こんなむなしさを抱えたまま、届かない笛を吹き続けるのに、そろそろ疲れてきたよ。目指す山頂はなお遠く、あくまで行く道は沼地のぬかるみの中にある。自分はこのまま沈んでいってしまうのか。
あまりネガティブな内容で終わるのはよくないので、一方で、身近にあるいい話を。長年の知り合いで、大手金融機関に勤める個人向け資産アドバイザリーのプロの方が、長らく会社を離れた立場で仲間を集めて様々な分野の勉強会をされてきた。彼曰く、今後はもっと外部発信も行い、“個”(あるいは“個”の連携)として新たなビジネスチャンスの機会も探っていきたい、とおっしゃっている。世に出回っているユーチューブ動画なども色々見て、子供にも話を聞いて研究を重ねているそうだ。
前のブログ記事にも書いたが、今後、今の金融の人は、自らがいろいろなビジネス(あるいはビジネスの芽)を顧客につなぐ“ハブ”となるべきだと思っている。その動きと、すぐに来るであろう「ビッグデータを介したAIでのマッチング」との顧客獲得合戦のせめぎあいに、彼らは生き残っていかなければならない。
そういう意味で、この知人の活動はとても素敵な動きだと思う。よく自分も含め「バブル世代」などと「層」で語られるが、その中の「個」「個」が力を発揮しながら、連携もしながら新たな価値創造を継続していくことができれば。若い人からも虚心坦懐に学び、一緒になって新しいムーブメントが起きてくれば・・・いい世の中になると思うのだが。
[…] 以前書いた「シンガポールのネット銀行にe-スポーツ企業が参入」のシンガポールに限らず、アメリカでも先日、フィンテック系企業が銀行としてみとめられた。GAFA・BATHはどこも情報と金融サービスを結びつける取り組みを行っているか、これから行おうとしている。 IT企業のすべてが「銀行」になるわけではないだろう。むしろ「個人にまつわる情報の流れ」と「カネの流れ」は同心円部分もあるが別物だ。 カネの流れは厳格に管理され厳重なKYCやチェックが課されるが、それ以外の個人データの方は逆にプライバシー保護に傾くのが建前論のはずだ(中国は例外・・・とはいえ、コロナの長期化で人権重視の国々でも中国的な全体主義的?管理体制に傾いていく懸念はあるが)。 個人データのほうは大きなコミュニティや顧客基盤を持つIT企業が厳重管理の上、顧客同意のもとで一定の商業利用に供し、一部は顧客に対価を支払いつつデータの“囲い込み”を志向するのだろう。 […]
[…] ここ(「いいと思います。あとは・・・」)やここ(「『データ覇権争いと日本』からの雑感」)、ここ(「シンガポールのネット銀行にe-スポーツ企業が参入」)やここ(「「変われない」のか「変わりたくない」のか」)などでずっと書いているように、「ベンチャー企業を生み、育てる」「ベンチャースピリットを持った人材を貴ぶ」「そのためには変な年齢差別も行わないようにする」べし、と自分が提言するのは、さすがにそろそろ変わらないと日本が立ち直れないぐらい没落してしまうという危機感があるからだ。 (しかも、その場合、自分のような不安定な立場にいるものの方が“本来、変わらなければならない”方々より著しく大変なことになってしまうのだ) […]
[…] 昨年の頭に「シンガポールのネット銀行にe-スポーツ企業が参入」や「『金融サービス仲介業』のニュース」で書いた通り、世界中でいろいろな企業が「独自決済」を絡めた「独自経済圏」獲得の取り組みにチャレンジし続けている。 このサービスプラットフォーム上には小口融資やファンド購入などの金融サービスが、ある意味「e-コマースの一部」として提供されている。 このブログで何度となく書いているとおり、今、“金融側”に住んでいる人たちは、彼らに飲み込まれてしまう未来も有るかもしれない。 (かもしれない、ではなく、自分はそう強く懸念している) […]