コロナ禍が世界の映画の劇場ビジネスを窮地に追い込んでいる。
日本では、「実は法定の換気義務があるので映画館は安心」と劇場のマイナスイメージ払しょくのためメディアで情報拡散している。青息吐息のミニシアターはクラウドファンディングでの寄付などで多少の経営の下支えを得ている。
それでも、劇場内の座席間を隔離し空席を設けなければならないし、さすがに当面、コロナ前まで客足が戻ることは難しい、など、今、映画興行ビジネスが大きな苦境にあるのは間違いない。

劇場を支えたい、文化の灯を守るために劇場が必要だ、という気持ちは、映画好きなら誰しも思うことだろう。自分にもその気持ちは強くある。

とはいえ、ここでは、「映画を映画館で見る文化の終焉」「配信を軸にした新しい映画視聴文化の始まり」という可能性をシミュレートしてみたい・・・あくまでも頭の体操、として。

●アメリカで映画館とスタジオが激しい攻防戦!新型コロナ以降の興行ビジネスのあり方(IGN Japan 2020年8月19日11:41)
https://jp.ign.com/movie/46042/feature/

アメリカでは映画館とスタジオが激しい攻防戦を始めている、というニュース。
大手映画館フランチャイズのAMCが劇場で公開からわずか17日間でオンライン化を許可する、という合意をユニバーサル・ピクチャーズ結んだ(この数か月前には劇場主側のストなどあったようだが、一転、協調路線に)。
ディズニーは『ムーラン』実写版のファーストウィンドウを劇場でなくDisney+での公開とした。料金は30ドルという高額だが、購入者は何度も視聴可能、という設定だ。
日本でも実写映画『劇場』やアニメ映画『泣きたい私は猫をかぶる』が、劇場ではなくNetflix主体の流通体制を組んだ。

『劇場』の監督でもある行定勲監督は、公開時に「日本はこれまでミニシアターやシネコンの小スクリーン活用で多種多様な映画を見れたが、今後、劇場では大作しか掛からなくなるだろう」と発言されていた。ソースを探したが見つからないので、これはあくまでも自分の記憶としてだが、たしかにその通りだと感じている。その代替としても伸びてくるのが配信だろう。

●行定勲監督、コロナ後の“映画業界のニューノーマル”を語る 配信サービス隆盛で「皆が劇場を持つ時代」に(映画.com 2020年6月5日 16:00)
https://eiga.com/news/20200605/13/

同じ行定監督の発言。以下、上記記事から引用。
・・・トークが熱を帯びるなか、行定監督からオンラインプラットフォームに関連して、「皆が劇場を持つ時代」という言葉も飛び出した。「『映画祭が認めた』ことは皆の指標、軸になっている。今までは映画祭がブランディングして、スターも観客も育ってきたんだけど、それがもっと個人化していくんだと思います。皆がそれぞれ自分の劇場を持って、自分の作品をラインナップして、新作として発表していくような」と述べる。・・・

実は、この発想・感覚は自分が抱いているものに近く、正直驚いた。こう書くと後出しじゃんけんみたいで嫌だが。でも、数人の知人にはこの手の話をしてきた(例えば、とある映画祭関係者には自身の不遜な意見を投げたりしたこともある)。なお、記事を読めばわかるが、この「皆が劇場を・・・」というのはオンライン動画配信に絡んだ話で、当然、リアルに劇場主になるということではないので、誤解なきよう。

さて、もっと発想を広げて言うと・・・映画って何だろう? ということにもなってくる(あくまで、ビジネスとしての話)。
例えば、このコロナ禍で、多くの演劇やライブハウスでのライブが動画配信された。無料のケースも有料のケースもあった。
動画形態での視聴を観客に広く届けるという意味では、それは広義の「映画」では? という考えもある。これは、現在のYoutube上の(特にそれなりに金をかけられた)UGC動画コンテンツも同じく、だ。
ライブハウスでのコンサートだけならそれは実演に過ぎないが、ライブ動画にするとそれは「映画(映像)の著作物」になる。ライブ運営者と映像制作者が組んで映像配信で収益を上げようとする行為は、製作委員会を組んで映画を作り、劇場や二次利用で収益を得ようとする行為と変わらない。
すると、これまで異業種で競っていた映画以外のコンテンツが、「映画」の世界で競い合う形になる。これまでの映画には多くのライバルが出現してくる。

例えば、こんなものも「映画」になってくる。

●ジャニーズ、アリーナクラスの大型公演年内全て中止…配信に切り替え(Yahooニュース 8/21(金) 6:00)
https://news.yahoo.co.jp/articles/32ce473eeaac360bff73089af3e0bc506f5ce640

大勢の固定ファンを抱えたジャニーズのコンサート動画は、新しい映画の世界でのキラーコンテンツだ。
いやむしろ、こんなキラーコンテンツを生み出す「ファンの連携」が、コンサート動画に限らず、様々なクリエイション(複数ジャンルのコンテンツ)誘発し、古い言い方だが「メディアミックス」の中で、いろんな形の収益モデルを生むのではないか。

(8/21 14:55追記)

●エイベックス社長が語る、競争激化の音楽ストリーミング配信「次の一手」(Yahooニュース 2020/8/4)https://news.yahoo.co.jp/articles/590fd8ff4f768d784356a258f2dc94e0dd8045a4?page=1

このインタビューの中で、エイベックスの社長さんが、韓国のBTSを参考に、

・・・例えばマルチアングルのカメラワークがあって、グループの中で自分はこの子のファンだからこの子だけを映しているカメラに対して有料課金するとか、今だと投げ銭の仕組みとか、そうしたエンターテインメント性が画面上で分かれば、ゲーム感覚の経済が生まれていく可能性はあります。・・・

と述べている。ライブ動画にかぎらず、新しい映画には、こういった視聴者から見た視聴体験の違いによってバリエーションが生まれるようなこともあるのかもしれない(・・・以上、追記終了)

さっき、映画には多くのライバルが出現する、と書いたが、一方で、それらはお互いに連携しあって統合的なビジネスに発展するのかもしれない。

●賛否両論「学園祭のオンライン化」は誰のためのものか。(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020.08.19)
https://hbol.jp/226299?cx_clicks_art_mdl=2_title

こちらは、新型コロナウイルスの影響で、いくつかの大学が学園祭のオンライン化を決めている、という記事。日本最大規模の早稲田大学「早稲田祭」もオンライン開催らしい。
(当人たちのインタビュー含め丁寧に解説しているが、この記事は「オンライン学園祭」なるものに対してややネガティブな印象。)

もしかすると、こういうオンライン学園祭だって、やり方によってはものすごいキラーコンテンツになるんじゃないだろうか?

上記の行定監督の「皆が劇場を持つ時代」を拡大解釈してみる。
視聴者側の個々人が興味を持つ様々な対象(広義の“コンテンツ”)・・・・アイドルやアーティスト、クリエイターなどの「人物」や、彼らが生み出す「作品」などや、さらには学園祭のような「ムーブメント」に至るまで・・・を軸にファンがつながり、その連携の中でクリエイターたちによって映画が作られ、消費されていく、そんな時代になるのではないだろうか。
行定監督の視点はクリエイター側で、こちらの説明は視聴者側なので相反するように聞こえるかもしれないが、そうではなく、これは表・裏の各々からみた説明であり、「皆が劇場を持つ時代にはクリエイター(クリエイション)が主役になる」ことは間違いない? のではないだろうか。

なお、その過程では劇場はおろか、Netflixなど既存の動画配信サービスの枠も超えた、新しい流通形態が現れるのかもしれない。さらに、それはあくまで一ウィンドウに過ぎなくて、複数のウィンドウ上での収益展開を担うプレイヤー(ビジネス統合型のプロデューサー?)が活躍することになるかもしれない。

想像が飛躍して、収拾がつかなくなった感があるので、この辺で。
というわけで、いつもの我田引水を。

上記のような世界が訪れるとして、そこにあるのは(ファン・ネットワークを携えた)クリエイター、クリエイションを中心としたビジネス展開だ。
だとすれば、その一助として「アドコマース」が有用ではないだろうか。「スラマット」や徳の経済圏構想の可能性は大いに広がる気がする。

最後に、今回はあくまで頭の体操として書いたが、自分は決して「映画を映画館で見る文化の終焉」を願っているわけでもない。現状のビジネスモデルに大きな変革は必要だと思うが、劇場(など)の暗闇の中で複数の観客と一緒に同時に映画を視聴する体験、という映画の魅力は廃れないと思うし、残ってほしい、と思っている。