●米映画館とネット同時配信 ワーナー、来年の新作公開(Yahooニュース 12/4(金) 7:38)
https://news.yahoo.co.jp/articles/da91e7ecc18d16d222ea57c215017e6242daaf13

アメリカの映画会社大手のワーナー・ブラザースが、「ゴジラVSコング」「マトリックス4」など来年の17本の公開作品についてアメリカ国内の劇場公開とHBO Maxでのインターネット配信を同日に設定する、というニュース(一応、劇場側に配慮して配信期間は1か月に限定)。
この記事だけではワーナーの全作品が同様の措置を受けるかは定かでないが、アメリカではコロナの影響でもう完全に「配信>劇場」の世の中が定着したな、という感じがする。
8月に「コロナ後の映画産業をぐるぐると考える」を書いたころは、劇場側はまだ同時配信に抵抗していた感があるが、完全に配信に軍配が上がった感がある。
特にワーナーの場合は、NetflixやAmazon Prime、Disney+より後発の有料動画配信プラットフォームHBO Maxの会員獲得、競争力向上の意向もあるようだ。

昔書いた『コンテンツファンド革命』で配信の台頭や未来の映画視聴者が劇場視聴を選ばなくなる可能性(なので、「“場”を拡げる新しい取り組みが必要」と主張)について言及したが、コロナという特殊事情があるとはいえ、時代の流れとして劇場離れはあらがえないことのように思う。

とはいえ、世界の映画市場の中で、日本は“特殊”な国だとみられている。
ご存じの通り、日本では『鬼滅の刃』ブームで劇場がにぎわい、他国とは別の様相を呈している。

先日、「文化庁映画週間 シンポジウム『コロナ禍を経てこれからの映画製作』」というイベントをオンライン視聴した。国内メジャー系映画会社のプロデューサーやフィルムコミッション担当者らが登壇者として発言されていた。
イベント自体は、主にロケなどでの映画制作現場のコロナ対策などを論じるものだったが、「これから映画はどうなるか?」のような話も少し出ていて、いろいろ勉強になった。
自分も初めて知ったのだが、欧米の映画劇場公開がストップしている現状、本来は来年あたりに日本で公開されるはずだった外国作品が軒並み“仕入れられない”状況にあるらしい。
なので、2021年は日本国内での作品供給数のかなりの数が邦画になるという公算のようだ。日本は元々、邦画の供給数が多く、興行収入の国内映画比率の高い“特殊”な市場なのだが、それに輪をかけた状況になるらしい。
もちろん、感染者数の増加次第で、これから再び劇場の営業自粛もあり得るだろうから、日本の映画会社や劇場関係者は決して安穏とできるわけではない。

このシンポジウムで印象的だったのは、とある大手映画会社のプロデューサーの言葉だ。
「コロナが日本の映画興行市場の優位性を“溶かして”しまった。これからはグローバルスタンダードの流れの中で戦っていかなければならない」
このような趣旨の発言をされていた。
先述のとおり、日本は邦画製作本数も多く邦画シェアも高く、高額の入場料でも来館者数が多い、世界で類を見ない市場だった。一方、世界の映画興行ではハリウッドメジャー作品が占め、Netflixなどネット配信が劇場を凌駕する状況だ。
その特殊性、優位性も、今回のコロナで(『鬼滅の刃』ヒットという恩恵はあるにせよ)ネット配信に大きく浸食されることになった。

このプロデューサー曰く、
「これからは海外で1円でも多く売れるよう市場を広げる努力が必要。一方で、海外全作品が競争対象となるので映画の大バジェット化が必要。資金調達とそれに至るビジネス構築が重要に」
ということだった(やや意訳も入るが)。
まさしく『コンテンツファンド革命』などでも自分が主張してきたようなことで、今更感はあるが、わが意を得たりだ(とはいえ、「ようやくそんな感じですか?」という思いがないではないが、これは映画やエンタメビジネスのプロデューサーとして全く存在感を示せない“ひがみ根性”なので許してほしい)。

コロナ後の映画産業をぐるぐると考える」で書いたように、「映画」の定義そのものも広がってくるし、融合されてくる。ここに「複数のウィンドウ上での収益展開を担うプレイヤー(ビジネス統合型のプロデューサー?)」が望まれる、と書いたが、そのためには何と言っても強い「コンテンツ力」なのだろうな、と思う。
自分もせっかく「国内外にエンタメとファイナンスを繋ぐことができるクリエイティブな存在」を目指してコンテンツファイナンスを志向してきたのだから、何とか這いつくばって実現を目指したい。
ところで、

●「鬼滅の刃」でクールジャパン戦略 自民特別委(IZA産経デジタル 2020.12.3 18:27)
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/201203/plt20120318270026-n1.html

自民党クールジャパン戦略推進特別委員会が『鬼滅の刃』関係者を招いてコンテンツの国際展開などについて議論を交わした、という記事。
「アニメ、漫画をはじめとする日本のコンテンツの国際展開やビジネスモデルの創出などの取り組み強化に向け、鬼滅の刃を一つの入り口に議論を深めたい」
ということだそうだ。

この手の話は、結局“掛け声倒れ”というか、あとで振り返ると「で、なんだったの?」ということが多い。
さりながら、『鬼滅の刃』というキラーコンテンツを軸に、新たなグローバルなビジネスモデルを検討するのは面白いと思う。
とはいえ、結局、すでにネット上のグローバルなコンテンツ配給網はNetlflixやAmazon Primeに抑えられてしまったし、今更、国産動画配信プラットフォームを海外に展開するなど土台無理な話なので、ここでは“グローバルなコンテンツ配給網”に乗っかった上での、「ファンコミュニティ形成」「マルチコンテンツで稼ぐ方法論の確立」といった、ある程度限られた話になってしまうだろう。もちろん、それであっても大きなビジネスであることは変わらないが。

中国などではテンセントがコンテンツの川上から川下まで抑える「メディアコングロマリット」化したビジネスを展開している。
すでにコンテンツ産業が分化している日本では、一つの企業グループに集約するのではなく、(「株式会社ポケモン」のような)コンテンツを軸にしたビジネスユニットが引っ張る形になるだろう。要は、その方法論の開拓がはじまってくるだろう。
一方で、“コンテンツ制作の民主化”“コミュニティ型コンテンツ視聴”というトレンドが始まるのではないか、というのが自分の予測だ(本当は、こういうムーブメントを起こす側に回りたいのだが・・・)。

とはいえ、日本発のグローバル・プラットフォーマーの魅力も捨てがたい。
今さら難しいのは重々承知だが、『ゼロベース思考:コロナとカラオケ』で書いたように、カラオケボックスも含む「新しい映画」視聴の“場”をグローバルプラットフォームとして広げていけば、という期待はある。
ハードウェア中心の日本の機器メーカーが積極的に動けば可能に思うのだが。保守的な日本企業には難しいな、としか思えないのが残念だ。

さて、先述のシンポジウムでは、映画プロデューサーたちの結論めいた話として、
「面白い映画を作り続けるしかないよね」
「映画プロデューサーはもっとビジネス志向を持つ」
「エンターテインメントの発信側が垣根を越えて新しいものをチャレンジする」
という発言で締められていた。

クリエイティブな方々のポジティブな見解が好ましかった。確かに、作り手としては「面白いものを作り続けよう」がなければ始まらないし、その意気やよし、と思う。
そして、なんだかんだ言って、自分が『コロナ後の映画産業をぐるぐると考える』で書いたような「新しい映画」のカタチも、漠然と想定している感じのコメントだと思う。

自分が長くいた金融業界も、その後に足を踏み入れた映画業界も、比較的保守的なメンタリティーを持つ人の構成比率が高い産業だ。それでも、時代は大きく変わりつつある。元々、変化の方向性に動いていた中で、コロナショックはあくまでもそれを加速させる一つの要因に過ぎない。
色々な人の「変わらなければ!」が試されている。