このところ、「日本は安い」という内容の記事や特集を読む機会が多くあった。
(週刊ダイアモンドやエコノミストなど。元々は昨年の日経の特集あたりから使われ始めたそうだ)
そこでは、「いつの間にか世界の負け組に」という諦観や、「日本は安いので今が買い場」という投資家目線、そして、「なぜ日本が安いのかを自覚してきちんと覚醒すべきだ」という社会改革を叫ぶ論調など、様々な形で「日本は安い」を取り上げていた。
実際、これらすべてに実感し納得する。

●アニメやゲーム業界「日本人は安くて助かります」その由々しき事態(Yahoo/Newsポストセブン 10/12(火) 7:05)
https://news.yahoo.co.jp/articles/bea951414d763fc01c8f6fcf2b8b44537dc05b6d

上記のYahoo記事は、「日本は安い」の代表格ともいえるアニメーターやイラストレーターなどのクリエイターたちの現状をレポートしている。
元々、アニメーターなどクリエイターはビジネス構造の中で最下層に位置し、ビジネス(流通側)を駆動する上部層から搾取され続けてきた。
ある意味、資本主義の課題にまで行きつく普遍的問題点で、これについては、自分も「『コンテンツ・イズ・キング」は幻か?①~⑨」「『コンテンツ・イズ・キング』と『天下の秤』」などで、ビジネス側からのクリエイターへの搾取への反発や「コンテンツ・イズ・キング」実現のためのクリエイティブへのリスペクトの必要性について問題提起をしてきた。

上記Yahoo記事の筆者は、それだけではなく、得体のしれない“中抜き”プロデューサーの存在というアニメ・映画業界の悪習も看破している。
この記事では、中国から直接発注を受けることでようやく潤っている、という事例が紹介されている一方、黒船と期待された莫大な製作予算を持つ海外大手インターネット動画配信企業からの発注でも、アニメ制作現場に下りてくる予算は、方々で“抜かれ”た結果、最低限の金額だった、と紹介している。

この方の主張では、この「中抜き」体質こそが日本が構造不況に陥った原因の一つであり、中抜きを是とする社会的土壌が、(アニメ業界に限らず、総じて30年間も平均賃金が変わらない)「安い日本」の根本的な問題だ、とある。
若干の論理の飛躍も感じるが、個人的には“感覚的”に正しいと感じる。

文中最後の方に、
「いまのところ中国が『安い日本人』と思っているのはクリエイティブ系が中心だが、いずれサラリーマンすら『日本のサラリーマンは安い』になるかもしれない。」
という考察が有る。
さもありなん、と思う。

この前(と言ってもすでに1か月半以上も前だが)書いたブログ「NFTをきっかけに、これまでと未来を考える」の最期に、DIAMOND ONLINEの「安いニッポン 買われる日本」特集を読んで、「以前、『オジサンたちは変わらなければならない』を書いたが、『変わりたくない』『チャレンジしたくない』一定層の人々が“重し”になっていることが大きな理由だと思う。」と記した。

中抜き(≒搾取者)をビジネス主体の「企業」や、座組内の既得権益者である「得体のしれないプロデューサー」として見れば、特別な“おっかない”存在に思えるのだが、その「中の人」の多くは、実は、これまでうまくやってこられただけの「普通の人たち」なのではないかと思う。
そこにあるのは、自分がこのブログでたびたび「変わらなきゃ」と指摘する大企業のサラリーマンや、彼らのメンタリティーと同質なもののような気がする。

●「正社員を守るため非正規が犠牲になった」多くの日本人が貧困に転落した”本当の理由”(Yahoo/President Online 10/12(火) 12:16)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7bad7804f6cca2dbc020bb64a68e89ad9d19a8f

上記Yahoo/President Online記事では、日本に今生じている格差と貧困の原因は、(他の国々のような)「富裕層への富の集中」や「イノベーションへの対応差」ではなく、「正規・非正規の雇用格差」によるものであり、それは頑固に一部の正規雇用者のみを、ひいては、「日本的経営」なるものを守ろうとしてきたことによるものだ、と指摘している。
(上記記事は丁寧に説明しているので、ぜひ、きちんと記事を参照して読んでいただきたい)

結局、この根本にメスが入らないと、何も解決しない気がする。

●45歳定年論争が迫る「いつかは管理職」幻想への決別(日経ヴェリタス 2021年10月11日 4:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB305NY0Q1A930C2000000/

数か月前にサントリーの新浪社長が世間をにぎわせた「45歳定年制」問題。
この話題が上がった頃、ネットやメディアで、「体のいい中高年のリストラ策だろう、ふざけるな」「サントリー製品なんてもう買わない」という、中高年層(あるいはその家族?)たちからの怨嗟の念を見聞きした。

ただ、どうだろう。
自分は、日本はそろそろ真剣に45歳定年制を正面から論じるべき時期に来ている気がしている。
「45歳」に「定年」という言葉こそセンセーショナルだが、単純に言うと、これは、終身雇用を是とする日本的経営そのものを見直そう、という話だ。

45歳定年制の方が、「組織」にとっても「個人」にとっても幸せなのではないだろうか。自分はそう思う。

終身雇用の下、個人は人生のほとんどの期間をその組織で過ごし、自身や家族の将来設計もその給料に組織に従属せざるを得ない。自ずと、リスク志向は薄れ、メンバーの思考は同質化してくる。
同質化した組織では、些細なことに重きを置かれ、本質を忘れてしまいがちだ(決めつけて恐縮だが)。

「組織」への弊害について、あえて“決めつけ”を続けてみる。

「結果よりプロセスに重点が置かれ、実質的解決策よりも形式的な社内承認プロセスを重視する」
「志向が保守的になり、顧客や競合他社を見ず自社内の政治にふける。」
「自社のブランドで取ってきた仕事を下請け・孫請けに回して利ザヤを取るような堅い商売の方が、リスクを取ってゼロからビジネスを創造するよりも好まれる。」
「中抜きビジネスを是とするようなメンタリティーがはびこる。」

こういった組織の中で、閉塞感にさいなまれながら過ごしている人たちは、案外多いのではないだろうか。
申し訳ないが、そんな組織にイノベーションや新しく次代を担う製品やサービスは作りえない。自分はそう思っている

上記のすべての元凶が終身雇用制にある、とは言わないが、「同質的組織の弊害」や「中抜き体質」と「日本的経営」は相応に因果関係がある気がする(論拠を示せ、と言われれば、感覚的にそう思う、としか答えようがないが)。

もし上記Yahoo/President Online記事にある通り、日本の同質的組織とその構成員たる正社員を守るため、非正規が犠牲になり、現在の格差と貧困が問題になっているのだとすれば、日本社会・日本経済のため(「安い日本」を終わらせるため)にも、早くこれを改めるべきではないだろうか。

論理が飛躍しすぎているだろうか?

●日本メーカーのIoT製品はなぜ使い物にならないのか?(Diamond Online 2021.10.13 3:30)
https://diamond.jp/articles/-/281771

この記事では、(記事としてはタイトルと内容がずれていて、おかしな記事なのだが)サイバーセキュリティの専門家が諸外国と日本の会社員を比較し、日本では形式的なことにとらわれすぎて、それがビジネススピードを遅らせ、日本企業の競争力を落としている、と示唆している。
さらに、大企業社員は、「大企業の社員である」といういびつな満足感の枠から離れられず、はっきり言って勉強不足だ、と看破している。

●日本が国際競争力を失った納得の理由。先進的な研究開発も“宝の持ち腐れ”にする「企業文化」の残念さ(Yahooニュース/Business Insider Japan 10/13(水) 11:15)
https://news.yahoo.co.jp/articles/18015ff967f9fd3ee3ce08aee09cf50b1aadeee2

こちらの記事では、日本企業・組織の閉鎖性と意思決定の遅さが国際競争力を失わせた原因だと指摘する。
確かに、今や日本企業と言えば、社内根回しのために様々な資料を作らされて疲弊する部下と、なるべく意思決定を曖昧にして保身の道を残そうとする上司、というステレオタイプな姿が想起される。

そして、これこそが大問題なのだが、そんな日本的経営下の「中の人」たちは、個人として「全く幸せではない」のだ。

●「今日の仕事は、楽しみですか」に、なぜイラっとしたのか 「仕事が苦痛」な日本人の病(IT Media Business Online 10/13(水) 8:23)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e2e1016cd13e38dea816cebc4b28ffd173d553e8

上記記事は、各種調査をもとに、日本人は世界でも有数の「仕事を楽しみにしていない国民」であり、義務と責任で「嫌々ながら働かされている」人たちだ、と規定する。
(この記事では、日本人の労働観は太平洋戦争末期の『皇国労働観』に縛られており、カルト宗教的である、と述べられている。自分自身、それに対して是も非も言える立場ではないので、言及は避けたいと思う)

結局、現在の日本の多くの企業では、仕事を苦痛に思いながら義務的に働く“不幸な”労働者たちが、片や正社員の勝ち組、片や負け組の非正規社員として働いており、同質的な組織の中でプロセス論に終始し、イノベーションも起こせず、総じて不幸になっているのかもしれない・・・そんな単純な“決めつけ”をすると、様々な方面から怒られてしまうかもしれないが。

では、そんな日本的経営下で苦しむ「個人」は、どうすればいいのだろう。
前述の「45歳定年制」論争の記事で述べられていたことを、論者の名前と併記して書いてみる。

・サントリー 新浪社長:「個人は会社に頼らない仕組みが必要」
・東京大学大学院 柳川範之教授:「デジタル化などの技術革新が進んでいることもあり、一つの会社で働き続けることは難しくなっている」「長く働くために、人生のどこかでピットストップ(小休止)と学びなおしが必要」
・リクルートワークス研究所 石原直子氏:「定年を早めるならば、若い時に賃金をより多くもらえるような設計に変えなければならない」
・労働政策研究・研修機構研究所 浜口桂一郎所長:「全員が管理職を目指す『メンバーシップ型』の前提は、労働意欲が高い若い新入社員が大量に雇用できるという点にあった」「中高年層が厚くなった今、ゼネラリストとして育った彼らの生産性が低いことが、企業の問題意識につながっている」
・日本総研 太田康尚シニアマネジャー:「これまでの日本の教育制度はゼネラリストの育成を前提としたもの」「企業もジョブ型を志向し始めている。スペシャリストの育成・人材流動化について企業側の一層の意識改革が必要」「重要なのは、(定年がいつ、ではなく)管理職を目指さない多様な働き方の実現」

「45歳定年制」というセンセーショナルな言葉に踊らされて、感情的なハレーションが起こったが、実は、至極まっとうな問題提起がなされていたと思う。

先ほど、「45歳定年制の方が、『組織』にとっても『個人』にとっても幸せなのではないだろうか。」と書いた。
「個人」にとって、上記のような「会社に頼らない」「学びなおしながら、(組織に縛られずに)長く働く」「若い頃から高賃金を得る」「高い生産性をもって(プロとして)勤め先企業に奉公する」「定年を気にしない」働き方は、望ましいものではないだろうか。
少なくとも、義務と責任で「嫌々ながら働かされている」という感覚からは大きく乖離した働き方であるように思う。

だから、結局はありきたりの言葉になってしまうのだが、「人生、いつまでも勉強」「新鮮な心を忘れずに」「未来に向けて切磋琢磨」を続けることしかないのだ、と思う。

ところで・・・。
自分はすでに「45歳」すら超えたシニア世代の人間だ。残念ながら。
自分の学生時代・旧職場時代の同期も「45歳定年制? それは次世代の話で自分たちには関係ないよね」という「逃げ切り体制」に入っている。

実は、このブログは自身の“よしなしごと”を、特にターゲットも決めずに漫然と書いてはいるが、心の中では同世代の友人・知人たちに向けて、“反骨心”を持って、書いている側面もある。
「で、お前、金は貯まったのか(藁)?」などという奴には、なめんなよ、という気概で書き続けている。
(貯まってねーよ。こちとらチャレンジ続け・負け続けの人生で、自慢じゃねーが彷徨ってんだよ。だからって、他人に嘲笑される筋合いはないと思ってるよ)

「45歳定年」ということは、46歳に新人になる、ということだ。
この価値観でいうと、我々の世代など、(定年後の)入社10年に満たない“ペーペー”にすぎない。
自分が新人の頃、(自分含め皆が)世の中を新鮮に・予断なく見て、幅広く勉強したい、と思っていた、と思う。
残念ながら、オッサンたちの多くは、予断を持ちすぎている気がする。若い人たち(だけでなく、若々しく学び行動している人たち)に学び、自らも予断なく、幅広く学びを継続したいと思う。

まとまりがつかない文章になってしまい、反省。
最後は酔いに任せて書いたので、ちょっと文章が乱れてしまった。恐縮(です)。

「日本は安い」
その通りだと思う。
この問題意識は昨今、日本国民の中で広がってきていると思う。
(45歳定年制への考えの是非は別にして)我々世代も含めて、「変わらなきゃ」と思う人たちが増えてくれば、“安い日本”は、少しは変わってくるかもしれない。