その本部には山一が自主廃業するまで5年いた。おかげさまで切り貼りのルーティンワーク以外にも幅広く仕事ができた。そのうち、「試算」電話への非理性的な対応はいつの日か改めることになり、理性的に受話器を外すことになっていった。そしてそのうち、「試算」などというバカげた仕事自体がなくなった。
いつからそのような理性的対応を甘受しだしたのかは忘れてしまった。だが、自分がしでかしたある「失敗」は、もしかしたらその転機になったかもしれない。
とにかく古い話なので詳細を忘れてしまったのだが(おいおい(笑))、確か、こういうことだったと思う。
短期公社債を中心に運用するとある毎週分配型の商品は、価格を出すだけではなく、年率換算など利回り表記も必要だった。自分はその利回り計算を担当していた。
ある日、その利回り計算を間違え、そのまま支店はおろか顧客にも通知してしまった。すぐに間違いは指摘され、部内は大騒ぎになった。
(ということは、当時Excelすら使っていなかったのだろうか? そんなことはないと思うのだが。。そのへんの記憶が曖昧だ)
いろんな部署に頭を下げて回った。その時に初めて知ったが、山一には「書道の先生」が嘱託で働いていた。お詫びの文章を作成し、それを何度も推敲し、先生が筆でそれを文字に起こした。見る者に深々と首を垂れているような印象を、あるいは単なる読みにくさを与えるその手紙は、数日後、全国各地の何千(何万?)人の顧客のもとに届くことになった。
腹がしくしく痛いというか息苦しいというか。とにかくこういう失態をしでかすと、何となく居づらく感じるものだ。以前、支店で後輩と一緒に課長たちに詰められた時と同様、ずっと靴の先ばかり眺めていた。
「櫻井君、ちょっと」
課のK先輩に会議室に呼び出された。ただ黙って従い席に着いた。
「で、どうしよう?」Kさんがそう言ったので、うつむきながら「本当に・・・スイマセンでした」と答えた。するとKさんは笑顔になって、
「櫻井君、誤解しないで。僕は責任論を言いたいんじゃなくて、どう改善するかについて相談したいんだ」
「こういうミスを犯すということは、業務プロセスのどこかになにがしかの要因があるものなんだ」
「それを見出して回避するためにどういう措置をとるべきか、それを話し合いたいんだ」
と説明した。
結局、その後、“第三者チェック”や“声合わせ確認”など、(それまでの自分はある種バカにしていた)回避手段がとられることになった。もしかすると、支店からの電話が多い時間帯なので、その時間帯は受話器を外す、ということになったのだったかもしれない。
そして、さすがに当然といえば当然だが、同種のミスは無くなった。