これほど強引なやり方がはたして通用するのか、雲行きを見守りたいという話。
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15875554900943(茨城新聞2020年4月23日(木)「稲敷の公園、チューリップ15万本刈る 新型コロナ感染防止「苦渋の判断」」)
https://www.asahi.com/articles/ASN4L7FCZN4JUDCB00G.html(朝日新聞2020年4月19日「花咲けば人密集…チューリップ80万本、無念の刈り取り」)
なんかこれって、「欲しがりません、勝つまでは!」だよなあ。やっぱり戦争が近づいているのかなあ・・・。
少しネットで見た限りでも、
・茨城県:稲敷公園のチューリップ
・千葉県(佐倉市、柏市ほか)チューリップ園など
・沖縄県:総合運動公園のユリ園
・福岡県:八女市「黒木の大藤」
などなどで、「人が来ないように苦渋の選択で」花が刈り取られたようだ。
実は、自分がこの「花が刈り取られている」ニュースを知ったきっかけは、ホリエモンが「花を刈るって狂ってる。狂ってるって思わないのが狂ってる」と言っているというニュースを見てのこと。
その記事を読んで一瞬、どこかのいち花園のニュースを指しているものと思い、「ホリエモンそのとおり! 人に来てほしくないから花を刈るって、その花園主のヒステリックな対応ってどうなの?」と思ったのだが・・・違った。
これまでも各自治体がこういった対応を重ねており、このタイミング(GW直前)で「花刈り」に注目が集まってきた、ということのようだ。自分も今日初めて知った。
公的な施設がこのような行為に行っているということは、当然、明文化されているにせよされていないにせよ“上から”のお達しがあったわけだ。大げさに言うと公園の花を刈る行為は「政策」として実施されているということだ。
これは・・・「悪手」でしょう、やっぱり。
「密」を避けるためにどれだけの効果があるのか、その具体的データ(根拠)も見えないこの「花刈り政策」。
コロナ対策という公の目的のために個を犠牲にし自重する日本人の美徳や集団意識を喚起することは、自分はある程度は構わないと思っている。
プロパガンダとPRや広告の境など有って無いようなもので、特に今のような非常時には様々な恣意的な情報が“お上から”流されるものだ。それについていちいち文句を言っても仕方がない。
しかし、民主主義国家では「民」が主役。そして民は「踊るアホウ」であり「見るアホウ」なのだ。彼ら(自分たち)は決して強制的に「踊らされる」ことは好まず、むしろそれに反発する。
これまでのマスメディアや芸能人たちが喚起してきた各種の行動の自重を促すようなこと、例えば「マラソンランナーがマスクを着けずに妊婦の横を走ることへの苦言」や「行楽地に県外ナンバーの車が少なくないことへの苦言」などは、それがいかに非科学的な注意喚起であれ、一定の理解は示せるものだった。
「(それって、言いすぎだけど)まあ、注意するに越したことはないよな」
実際、(自分はもともとリモートワーカーで以前と大きな生活変化はないが)ほとんどの人はこういった“空気感”にも後押しもされたうえで「自ら」自宅で過ごす決断をしているはずだ。
今回の恣意的な「花刈り政策」は、自主的な行動を重ねてきた人たちに反発を生みこそすれ、これで「今までの考えが甘かった。さらに行動を自粛しよう」などと思える人は少ないのではないかな。
「いやいや。そこまでされなくても行動自粛してきましたよ!」
「“サンミツ”は窓を開けて換気すると防げる、とか言ってるのに、(いかに密集する可能性があるとはいえ)非論理的じゃないですか!」
「パチンコ屋は“要請”、バラ園は“強制”。これどうなの?」
「この程度の感染可能性を排除するためにここまで行動するのなら、事故発生可能性のある自動車の個人保有はやめるべきではないですか?」
などの“感情的”意見が、これまで自重してきた層で爆発してきそうな気がするが、どうだろうか。
全国的医療崩壊を避けるため国民の行動を制限しこれ以上の感染ペースを鈍化させたい、という行政側の必死な思いはわかるし、携わる方々のご苦労を思うと尊敬するし、いち国民・市民として十分納得もしているつもりだ。
だから今回の強引な「花刈り政策」の背景や思いは理解できる(不遜かもしれないが)。しかし、「民からの反発」を招きかねない今回の政策は、結構ギリギリの行為で、このあと“副作用”が広がらなければいいが、と思う次第。
あるいは、その“副作用”も見越した上での政策なのか? であれば、それはどういう?
いずれにせよ、自分個人にできることはしっかり対策しながら、今回の政策の行方を見守りたい。