なので、(講演内容自体は素晴らしく、実際、非常に勉強になったが)角川会長のおっしゃるのは、ご自身の立ち位置をややクリエイター側に置きすぎておられるように感じられ、若干の違和感も残ったのだ。
純粋なクリエイターや制作会社側の映画プロデューサーなどから見れば、「日本では昔っからクリエイター側に取り分なんてなく、プラットフォーマーが多くの“取り分”を要求して制作陣への配分は相対的に低かったではないか」と言われても仕方がないよな、というわけだ。
※ 製作=お金を出す側、制作=実際に作る側
であれば、純粋なクリエイターや制作プロデューサーがローカルで保守的な国内マーケットを捨て、NETFLIXなどと組んで海外を含めたマーケットという大海原を求めるのは自然なことだ。
むしろ彼らには、閉ざされた国内マーケットよりも大きな収益機会が有るのでは、という期待感の方が強い。
実際、現在、多くの制作会社がNETFLIXと組みたいと思って一生懸命企画書を提出し、すでに制作も行われている。多くは大手制作(製作)会社だが、中には中堅レベルも混じっているようだ。
「グローバルな巨大プラットフォーマーから理不尽なブン取りをされる」という感覚は彼らには無い。すでに国内のプラットフォーマーから散々それをやられてきたから、全く気にならないのだ。
NETFLIXでは配給権購入の際に一定のMG(最低保証金額)が有ったり、レベニューシェアでなくフラット(買い切り)のケースでもかなりの金額が受け取れると感じている制作プロデューサーは多い。
聞くところによると、NETFLIXが求めるのはあくまでも期間限定の配給権であり(それでも全世界の配給権なので渡したくないと考える人はいるのかもしれないが)、著作権そのものは期間経過後は製作者に戻ってくるため、これまで製作委員会に参加させてもらえなかった制作プロデューサーの視点では、むしろ期待の方が大きいのだ。
(勿論、いつ彼らが大きな牙をむいて「著作権そのものをよこせ」と言ってくるかもしれないけれど。とはいえ、アメリカの映画・テレビビジネスの歴史を考えるとその可能性は低いだろう。)
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[…] 自分も、これを読んで情報アップデートさせていただいた。 特に興味深かったのがNetflixに関する部分。すでにグローバル配信権取得だけでなく製作・著作権取得=そのために優秀なクリエイター(制作会社)と組もうとする流れは理解していたが、すでにディズニーよろしく「スタジオ」化の動きもみられている、というのがよく分かった。 3年前に「「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?③」で「勿論、いつ彼らが大きな牙をむいて「著作権そのものをよこせ」と言ってくるかもしれないけれど。とはいえ、アメリカの映画・テレビビジネスの歴史を考えるとその可能性は低いだろう。」と書いたが、その予測は完全に外れたようだ。もちろん、制作会社や協業者の有無(製作委員会を絡めたプロジェクトなど)など、ケースバイケースではあるが。 […]
[…] →③へ […]
[…] このブログを書き始めた2018年から、Netflix絡みの記事を何度か書いてきた。 初回記事の『「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?①』~⑨では、Netflixのようなグローバルなプラットフォーマーあってこそ「コンテンツ・イズ・キング」すなわち、テレビ局のような「流通側」ではない「クリエイティブ側」の価値が高まるのであって、権威主義的な映画祭などよりもNetflixのようなグローバル・プラットフォームの評価機能の方がフェアであり、そういうデータを得ることで、エンタメ・ファイナンス、コンテンツ・ファイナンスのニーズが高まるかもしれない、という希望観測を書いた。 2018年5月28日『NETFLIXに関する特集記事を読んで、雑記。』では、彼らが得る個人データと広告利用について。 2021年2月13日『アニメ業界・Netflixの急速な変化と「民主的」コンテンツ製作(考察)』では、3年前に『「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?③』で書いた「Netflixはコンテンツの著作権を持っていかない」は間違いで、今の同社はスタジオ化を目指す方向だが、それでもがっかりする必要はない。 「スタジオ・プラットフォーマー(流通側)とのパワーゲームの中で、“制作者・クリエイティブ側”は、ファイナンスや収益ウィンドウの面で、彼らに負けない武器を持つ必要がある」 という趣旨の文を書いた。 (他でも書いたかもしれないが、全部見直せないので、このくらいに。) […]
[…] このブログを書き始めた2018年から、Netflix絡みの記事を何度か書いてきた。 初回記事の『「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?①』~⑨では、Netflixのようなグローバルなプラットフォーマーあってこそ「コンテンツ・イズ・キング」すなわち、テレビ局のような「流通側」ではない「クリエイティブ側」の価値が高まるのであって、権威主義的な映画祭などよりもNetflixのようなグローバル・プラットフォームの評価機能の方がフェアであり、そういうデータを得ることで、エンタメ・ファイナンス、コンテンツ・ファイナンスのニーズが高まるかもしれない、という希望観測を書いた。 2018年5月28日『NETFLIXに関する特集記事を読んで、雑記。』では、彼らが得る個人データと広告利用について。 2021年2月13日『アニメ業界・Netflixの急速な変化と「民主的」コンテンツ製作(考察)』では、3年前に『「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?③』で書いた「Netflixはコンテンツの著作権を持っていかない」は間違いで、今の同社はスタジオ化を目指す方向だが、それでもがっかりする必要はなく、 「スタジオ・プラットフォーマー(流通側)とのパワーゲームの中で、“制作者・クリエイティブ側”は、ファイナンスや収益ウィンドウの面で、彼らに負けない武器を持つ必要がある」 という趣旨の文を書いた。 (他でも書いたかもしれないが、全部見直せないので、このくらいに。) […]