フェイスブックがある株主から提訴されているそうな。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180728-00000030-reut-bus_all

→(7/30追記)フェイスブックが株主から訴訟を起こされているという記事

 

このニュースだけ単純に読むと、その株主の身勝手と一蹴される内容に思う。

 

コメント欄を見ると、「Facebookは10年後には残ってないよ」的な内容の“そんなの、昔からわかってたよ”的な愚にもつかない自己主張や、よくある陰謀論的な話も見受けられる(例:CIAがらみのストーリー/中国絡みのストーリー)。

 

また、「GoogleやamazonとFacebookは一緒にすべきでない」等々、Facebookのみ“ディスる”論調も多いようだ。しかし、その見解は果たして正しいのか?

Googleこそ、「欲しいのはデータだけ。それを取得するためのプログラムは積極的に解放するからみんなで活用してね」なデータ至上主義企業だし、Facebookみたいにわかりやすく個人属性情報を集めてる感がないだけで、今やネット上に出回っているバラバラの情報を紐づければ簡単に個人を特定できると思うので、Facebook一社を悪者にするのはどうなのかな、と思わないでもない。

 

今回の件もGDPRなどの大きな流れで読み解くべきことのように思われる。

 

あえて上記の陰謀論を続けると、米-EU-中-露の駆け引きの中で起こっているのかな、と邪推してみたり、もっと大きな存在をイメージしてみたり。

とはいえ、さすがに荒唐無稽な陰謀論からは離れた立場で自分なりの感想を言うと、前回、少し書いたように、我々は無料サービスを享受するなら一方である程度の“具合の悪さ”を引受けざるを得ないのかもしれない。そのレベル感こそ問題で、個人的には完全にガラス張りでかつ個人攻撃の可能性もある支配者による独占というのはご勘弁願いたい、と思っている。お友達になれれば別ですが(いや、それも怖いか。笑)。

 

https://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52218908.html

 

話は変わるが、こちらの記事を読んで、映画『マトリックス』を想起した。我々は脳内活動のデータを取るためだけに生かされるモルモットのような存在になるのだ、AI様(たち?)のために・・・そんな極端なイメージをし、その発想の貧弱さにすこし自己嫌悪した。

世の中が便利になるのは大歓迎だ。イノベーティブな社会変化に対応できない不勉強な既得権益者が取り残されるのも、ある種やむなし、と思う。だからこそ、いくつになっても不断の自己改革が必要だと思う。

ただ、誰のための変化、革新なのか、ということを自問自答しながら、変化の時代を前向きにとられて生きていきたい。Life is entertainment! クリエイティビティこそが人間を形成する。そう思う、そう願う。