→10/18共同ニュース:「サウジ記者不明、米映画界に波及 契約破棄を検討、後援取りやめ」
ハリウッドがサウジからの映画投資マネーを「お断り!」。トルコでの記者殺害事件が大きく波紋を投げかけている。先日は「大きな謀略かも。いずれ、ハリウッドがネタにするのでは?」と書いたが、今のところはこの件は劇場型のわかりやすいストーリーのまま(ディスられて癇癪を起こした王子様が暗に命じた処刑ではないか? という、王子様の前近代的な価値観を断罪するものばかり)メディアでは取り上げられている。でも、実際そうなのかもしれない。おそらく記者の方は本当に殺され亡くなっているのだろう。。お可哀そうに。残された婚約者の方が気の毒だ。。
でも、一方で「?」も芽生える。ホントに? 王子さま、そんなにおバカさんなのかなぁ?
サウジは昨年、投資フォーラム「未来投資イニシアティブ」で「NEOM」という新たな産業都市の開発プロジェクトを発表した。エジプト・ヨルダンにもまたがる、世界経済の中心として貿易やイノベーションの中心地となることを目指した人工都市構想だ。(参照:ここ)
この記事によると、①エネルギー・水②モビリティー③バイオテクノロジー④食⑤技術・デジタル科学⑥先進的製造⑦メディア・メディア制作⑧エンターテイメント、そして⑨NEOMの基盤である生活、という重点分野を掲げている。サウジなのに太陽光や風力といった再生可能エネルギーに100%依存したテクノロジー・シティーというのがぶっ飛んでいる。
この街はサウジ政府の枠組みからも外れ、労働法などの法律も独自の法が適用されることが発表されているそうな。つまり、片山地方創生担当大臣がこの間発表したAI・スマートグリッド特区なんてものよりもはるかに先んじて、自由で、かつ、大規模な構想だ。新しい世界をゴリゴリの既得権益者であるサウジが推進しよう、というのがべらぼうだ。
ムハンマド・サルマーン皇太子の言葉「NEOMは伝統的な人々や伝統的な企業のための場所ではない。世界で夢を見る人たちのための場所になるだろう」。この言葉には、純粋に惹かれるなぁ。
NEOMのCEOは米アルコアの人、ソフトバンク(孫さん)やブラック・ストーンが深く参入すると表明しているらしい。世界中からの投資を受け入れるよ、お金出してね、ということである(以上、引用記事より)。しかし、今年も上記「未来投資イニシアティブ」が今月後半に開催される予定なのだが、残念ながら、各国閣僚や多くの企業(JPモルガン・チェース、HSBC、フォードなど)が件の記者殺害疑惑を受けて不参加の方針であるらしい。
・・・ね、いろいろ謀略っぽくないですか(笑)? こんな革新的な方向性に反対したい勢力だって、世の中には結構おるのでしょうし。だいたい、アメリカがトルコに宣教師の拘留問題で経済制裁していた中でこんな話が巻き起こって(しかも、これも昨日、突然解決)、優秀なトルコ諜報部隊が(?)サウジ領事館内での惨劇をリアルにキャッチして、それを全世界に発信って。。謎すぎる。
一体誰が誰の利益を阻害して誰が謀の絵をかいて誰が敵で誰が味方なのか。。。今、何の情報も持たないただの一般市民である自分などがぐるぐるぐるぐると考えをめぐらしても、あまり意味もないことかもしれないから、とりあえずこの辺にしておこう。未来の映画構想(?)として今後もウォッチするだけ、いうことで。
もっと馬鹿なことを言えば、孫さんが「じゃあ、この構想、日本でやんない?」って言って、みんなも「いいねぇ」ってなって、特区作ってジャンジャンお金が集まって、片山さつきも面目躍如で文春に追いかけられなくてすんで、金正恩がローマ法王に改心させられて「もう金輪際、核兵器もミサイルも作りません」っていって、みんなみんなハッピーって・・・あるわけないな(笑)。
とまあ、新聞記事なんかをナナメ読みしてこういう“馬鹿な”ことを考えめぐらすのは、“クリエイティブ”を志す上で(あるいは、株式投資など現実の世界でも)悪いことではないと自分は思っている。気になったことをいろいろと(適当に)調べて、なるべく常識にとらわれずいろいろと空想すると、人とは違った世の中の見方ができる、かもしれない。例えば、上記の話と今朝の日経一面の「日米欧で『データ貿易圏』 情報流通へルール作り」はどうつながるか、とか、あるいは、全然関係ない(と思うけど)「KYBデータ改ざん」との関連、などを空想したり。
これが深みにはまればただの都市伝説語りになってしまうし、その道では巷の達人たちに勝てっこないので、あくまでも頭の体操として、何事も一方的には信じ込まず自分を中心軸にすることだけは心がけようとしている。
そういうぐるぐるの成果が作品に反映されることだってある。前に書いたが、『真央ちゃんになりたい』に登場する父親は、エネルギーに関連した業界で働く男にした。これも、「これからはスマグリ社会に!」とぐるぐる考えた末のことだ。
結構前のことなのでうっすらとしているが、記憶をたどってみる。
2010年の6月にロサンジェルスで行われたPGA(全米プロデューサー協会)主催の『Produced by Conference 2010』という催しに参加した。当時自分は映画祭の企画マーケットの担当者で、その営業とファイナンス調査のため、という名目だった。
そこでは映画ビジネスについて幅広に講演が行われていたのだが、一つだけ異質な(?)セッションがあった。「映画『誰が電気自動車を殺したのか?(Who Killed The Electric Car?)』を考える」という内容だった。司会はPGAの超大物プロデューサーのマーシャル・ハーツコビック(Marchall Heartskovitz)氏。このドキュメンタリー映画は、GMはじめ自動車業界は昔から電気自動車を開発し大量販売する能力を持ちながら、官民挙げてあえてそれを排斥してきた、という内容だ。講演内容も、その前年に起きたBPの石油流出被害をディスりまくり、とにかく、化石エネルギーに依存することはよくない、という論調だった(英語の聞き取りに自信がないので、あくまでも自分が理解した範囲では、だが)。「全米でクリーン・エネルギーのキャンペーンを張ろう!」などと威勢のいいことを言っていたと思う。
今考えると、単純にアメリカ国内の政治的プロパガンダの話で、民主党やアル・ゴア寄りのエコ推進派的な応援メッセージに過ぎなかったかもしれないが、粗忽な自分は「これは・・・世界がこれから再生可能エネルギーにシフトチェンジし、車社会も大転換する、というメッセージをハリウッドが打ち出すんだ!」と思い込んだ。冷静に考えれば(まだ311の悲劇は起こっていなかったので)原子力エネルギーをより推進する、ということだって考えられたのだが、その時はそこまでは思い至らずに。そして、帰国してすぐに元山一の同期にあたる(とはいえ年齢は自分の方がかなり下です)がほぼ何の接点もない元国会議員のTさんにそれをメールで勝手報告した。というのも、帰国の翌日にちょうど彼の講演会に参加(当然、チケットを買って。竹中平蔵氏の講演などもあってお得感があった)して、むくむくと“このメッセージを届けねば”という義務感(?)が湧いてきたため。当然、先方からの反応はなくスルーされた。。よかった。送ってから少したって、自分って“痛い”かも、と思ってきていたので。。
とはいえ、上記再生可能エネルギー社会化のシナリオは頭から離れない。ちょうど『真央ちゃんになりたい』の“守旧派対革新派”の構図の業界を探していたので、「これだ!」と思って、以降、いろいろ調べ、ぐるぐると考え出す。ちょうど株式市場でスマートグリッドが話題になり「なるほど、スマートグリッドね」「電気自動車と家電化、かぁ」「ほう、グリッド(スマート)メーターっていうのがあるのか」等々。IoTという言葉は無かったと思うが、出ていたメッセージのすべてが“エネルギー転換”“つながる社会”だったので、調べていてわくわくしたものだ。自分がぼんやりと考えていた「これから世の中は変わる!」というのは、こういう方向性なんだ! と思った。ただ、そのころはまだ裏側にある個人(パーソナル)データ取得というテーマは表には出ていなかった(少なくとも、自分は知らなかった)ので、今のGAFA-GDPR問題に至る部分には全く考えが及んではいなかったが。
とまあ、この件は、ぐるぐる考察がたまたまその後の方向性として“当たっていた”ケースといえるだろう。当然、全く頓珍漢な方向に帰結することも多い。それでも、「世の中はこのまま変わらない」とかたくなに思い続けるよりも、「今後、世の中は変わるのは間違いない。それはいったい、どういう方向か?」を考え続けた方が、有意義に思うし、単純に“楽しい”と思うのだ。
とはいえ、一つの方向性がよく見えるからと言って、それで全てがうまくいく、などとは思っていない。うちの実家の周りも山の中腹に太陽光パネル施設が何件もできた(この政策も孫さんの影響だ、、なんともはや)せいで、豪雨の際に危険が増えた、と言われている。また、ガソリン車関連産業が衰退すれば、多くの職にあぶれる人々が出てくるだろうし、そのネガティブな社会的影響力は半端ないだろう。そんなとき、そこに“含まれる”感覚、いわば弱者目線というものを持ち合わせないと、クリエイティブを志す資格はない、とも思っている。
ちなみに、『真央ちゃんになりたい』の初稿はこの年の11月末に書き上げた。そして翌年の『Produced By Conference 2011』で企画募集していた『Co-pro Show』に応募した。残念ながら採択はされなかったが、担当者からは「セミ・ファイナルまで残ったけれど、残念ながら落選です」とメールをいただいた。
あれから8年も経って、すでに、内容に古びた部分は多いかもしれない。それでも、通底するテーマである「大切な人のために、自分が変わらなければ!」というメッセージは、まだまだ我々“父親世代”にアピールするはずだ、と思っている。