●【独自】マネーロンダリング検査、スマホ決済・暗号資産の事業者にも拡大へ(読売新聞/Yahooニュース 8/27(金) 5:00)
https://news.yahoo.co.jp/articles/16bfec849467cf6278e7f56a6248c2da0b404a51

「金融庁が今秋から、マネーロンダリング(資金洗浄)対策の重点的な検査対象を、スマートフォン決済や暗号資産(仮想通貨)の取引事業者にも広げることがわかった」
「これまでの地方銀行や信用金庫に加え、スマホ決済事業を手がける資金移動業者や、暗号資産交換業者を主な対象とする」
とのこと。

すわ、「スマホ決済など『新しい金融』の芽を摘むような、金融当局による“がんじがらめ”が始まるのか」と思う人もいるかもしれないが、むしろ、これは「当たり前」の話だ。
“行き過ぎ”は困るが、業者が一定のルールのもとに監督されるのは、投資家保護などの観点からは当然だ。

記事にある通り、暗号資産交換業者や資金移動業者は(あるいは金融サービス仲介業者にせよ)、元々、“お上”(金融庁)の監督下で事業を行う建付けなので、この記事は特に驚くような話でもない。

●金融庁、リスクの芽に先手 通年検査を全主要行に拡大(日経 2021年8月17日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB12B9A0S1A810C2000000/

数週間前の上記日経記事の中でも、これから中島新長官体制の下、監督局と総合政策局が分担して、業態横断的に、高度化した検査を行う方針と書かれていた(ただ、この記事で書いているのは金融機関の経営チェックの観点なので、マネロン対策とは別の話かもしれないが)。

ところで、冒頭の金融庁の新検査方針の日経記事に呼応するように、今日の新聞に、FATF(金融活動作業部会)が「日本のマネロン監視体制は不合格」と判定を下した、という記事が載っていた。

●日本のNPO、マネロンに悪用懸念 テロ資金への低い危機意識指摘(産経/Yahooニュース 8/31(火) 9:01)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef210aea60cf9eebbf5128ac81a4abc3a9453c3c

実は、日経新聞には7月初頭にすでに同じ趣旨の記事が出ていた。だからおそらく、これはFATFによる正式な不合格判定が最近出た、ということなのだろう。
(あるいは、「アフガン撤退」のご時世にかこつけて、「これまで野放しだった『新しい金融』側の監督を、きっちりやっていくぞ」という、アナウンス効果を狙った当局側の提供記事なのかも?しれない)

いずれにせよ、これまでの銀行や証券といった伝統的な金融領域とは異なる「新しい金融」の領域も、お上が目を光らせていくことになる。

●「オープンバンキング」躍進 金融と企業つなぐ黒子役(日経 2021年8月30日 5:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB12CPA0S1A810C2000000/

さて、「新しい金融」は、結局、システムだ。
フィンテックの代表格で、「オープンバンキング」と呼ばれる決済などの金融側のデータと事業会社を繋ぐ役割を持つAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェイス)を提供するIT企業の領域は、「金融決済等代行業者」という括りで金融庁の監視下に置かれることになっている。

こういった分野でも、KYC(本人確認)の徹底など、“金融側”のルールが浸透していくことになる。
とはいえ・・・。
日本の金融行政と言えば、「金融検査マニュアル」など、細かいところまで当局にがんじがらめにされ、それが一方では目に見えない参入障壁になり、「金融ムラ」化してきた歴史がある。

「新しい金融」は、端からグローバル競争下にある、と自分は思う。
toC系など、「経済圏」と顧客データを持つIT企業(およびその協力企業群)が、いきなり主役に躍り出ることも想定される。

●イオン、全サービス一括アプリ 小売りや金融、来月から(日経 2021年8月28日 2:00)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75230890Y1A820C2MM8000/

あるいは、上記記事のイオンのように、リアル店舗を持つ小売業も、その競争のメインメンバーになってくるかもしれない。

そんな時に、「村の掟」のようなルールを作っていく方向性に陥ってしまっては、グローバル競争に敗れてしまうことになる、かもしれない。
あるいは、金融庁と経産省、総務省など監督官庁間の綱引きが始まってしまっては、目も当てられないことになる。

これまでもこのブログ(例:「みずほとソフトバンクの情報銀行に思う(乱文)」など)で書いてきた通り、この「新しい金融」は「個人データ」を軸に、金融以外の領域に大きく広がる。
日本の規制当局には、くれぐれも「金の卵を産む鶏」を殺すようなへまをしないでいただきたいものだ。

さて、先日、「『新しい金融』世界と日本、金融当局」でも言及したように、「新しい金融」分野の急速な発展に恐れおののいている(?)のは、何も日本の金融当局だけではない。

今、BIS(国際決済銀行)を筆頭に、世界の金融、ひいては世界経済の秩序をコントロールしてきたオーソリティ(?)が、ステープルコインやDeFi(分散型金融)といった、これまでの金融の概念を変えてしまうような新しいマネー・金融サービスの登場に翻弄されている。

実は・・・。
自分は、こういった状況と、何となく“重なって見える”ものがある。
それは、戦国時代の日本と、それを取り巻くグローバル経済だ。
(金や銀のほか)宋銭や明銭、ビタ銭、コメ、生糸などを交換した「両替商」や「貿易商」たちと、暗号資産やデジタル資産、電子マネーなどを交換する「新しい金融」の世界は、意外と似ているのではないだろうか。

自分も歴史に詳しいわけではないし、あまり話を広げすぎると訳が分からなくなりそうなので、自分が勝手に思っている、一つの“相似形”だけ、例に示しておく。

・東アジアの商人たち(後期倭寇・博多商人・堺商人など)による、中国周辺国の「ビタ銭」などの流通からみる「経済圏」
・今のIT企業主導の電子マネーと、フェイスブックが『リブラ』で目指した「経済圏」

この二つは、いずれも「民」主導で立ち上がった経済圏の中で流通した貨幣が、いったんは“お上”に承認され、活発に流通するものの、(リブラがディエム構想に換骨奪胎されたように)最後はお上によって潰される、という流れがある。

「最後は必ずお上が民を潰す」と断言したいわけではない。
今も昔も、金融サービスは、民が生んで民間で広く流通していく一方で、お上の規制との綱引きの中で育まれ形成されていったものだと思う。

(参考文献)「撰銭とビタ一文の戦国史 (中世から近世へ)」Kindle版 高木 久史 (著)

この本では、「貨幣を政府や中央銀行が発行する」という現在のシステムはあくまで歴史上、新しい(異端な)形式で、昔からずっと、「貨幣の秩序は、政府の統制と関係なく出来上がる」のが歴史の常識だった、という“目から鱗”な説明をしている。

今後、独自の経済圏を持とうとするフェイスブックやLINE、あるいはイオンといった民間企業、あるいは、“国際的な管理者を戴きたくない”理念でつながるビットコイン保有者たち(これも、経済圏、と言えるかもしれない)を、「国」や「国際管理体制」といった“お上”がどう扱っていこうとするのか、それは分からない。

世界に先んじて「個人データ」と金融を結び付けるビジネスを始めたテンセントやアリババに規制をかけ始めた中国政府(CCP)のように、お上が「これ以上の増長は許さん」とばかりに頭を押さえる方向に行くのかもしれない。
あるいは、一定の「新しい金融さん」(戦国時代でいえば、両替商・貿易商)たちとは共存を図る、といった方向になるのかもしれない。

歴史上、わずかな期間しか実現していない中央銀行・BISなどによる国際的管理体制をやみくもに絶対視せず、「今は、歴史が“後戻り”している時期なんだ。おもしろいなぁ」と、ちょっと、「物語」でも読むように、今の状況を捉えてみるのもいいかもしれない。

最後に、少し(というか、かなり)脱線。
自分は物語好きなので、「陰謀論」もたしなむ程度に好きだ。
(妄信することはないつもりだが)

「お金」に絡む陰謀論と言えば、筆頭は「ユダヤ」や「国際金融資本」にまつわる物語だ。
王侯貴族たちに金貸しをしてきたロスチャイルドなどユダヤ金融資本が、『金(Gold)』の預かり証を兌換紙幣として流通させ信用創造を行い、王侯に影響を与えイングランド銀行をはじめとする中央銀行を作り、裏の実権を握る一方、情報を押さえることで各国の企業に資本投下し、今なお世界経済を支配している、というお話。
グローバリズム、共産主義、新世界秩序といった、さもありなん、という話から、実は宇宙人が、いや地底人が、みたいなトンデモ話まで、その範囲は広い。

何をどこまで信じるか、というと、自分の中でもグラデーションが有るのだが、そんなことより、だ。
自分は、「ユダヤ金融資本の興隆より前に世界経済を支配できる可能性が有ったのは、もしかしたら戦国時代に存在した後期倭寇・堺商人・博多商人たちだったのでは?」「『金(Gold)』の一族ならぬ『銀(Silver)』の一族が世を席巻する世界線もあったのでは?」と思っている。

このブログでたびたび書いている『天下の秤』という物語構想は、そんな思いつきを背景にしているが・・・ちょっと、現時点で、自分の中でも「何を描きたいか」がよくわからなくなってしまっている。
少しでも物語を具現化させていきたいと思うが、時間にとらわれず、焦らず考えていきたい。

そういうわけで、「金融庁の新検査」を入り口に「『銀』の一族」で締めるなど、さすがに訳が分からない文章になってしまった。
反省。
とはいえ、このブログは自分の頭の整理のために書いている(漫然とした考えや情報を、文章にすることで自分視点で位置づけようとしている)ところもあるので、ご容赦いただければ有難い。です。