だからといって別に、自分の周りの方々(あるいは、大きくくくって「一般的な日本人」)を、「駄目だねぇ」と腐すつもりなんかない。
全くない。
むしろ・・・悔しいのだ、自分自身が。
あの当時、浸透期にあったSNSで繋がっていた同世代に友人たちに、「我々の世代は、もし時代が変わらないままだと利益が享受できる最後の世代だが、時代が変わったら最も痛手を喰らう世代なのではないか?」という問いかけをした。
それは、(周りからはある意味、粗忽者と思われるような)自身のチャレンジを理解させたい、あるいは正当化したい、というやや後ろ向き(?)な気持もあってだったと思う。
(実際、その後に設立した会社名のライフ・イズ・エンタテインメントという文字を見て、「エンタテインメント・・・お笑い芸人を目指すんだ?」と大ボケをかましてくれた方もいたような状況だったし。)
「世の中は変わると思うんだ。自分に何ができるかまだ分からないけれど、それでも、(年齢だのなんだのと言わず)そこにチャレンジしたいんだ」
「自分は“クリエイション”というのはある種の人間の根源的欲求だと思っている。自分もその欲求に素直でありたいんだ」
格好つけるとそういうことを言ってはみるものの、例えばリストラやコンプライアンスのお題目で組織の中で地位を守ることに汲々としていたり子育てに邁進していたりしていた自分の友人・知人たちは、「そう・・・頑張ってね」としか反応を返さなかった。
誰がどうこうではなく、自分自身の“人を巻き込む力”の“ひ弱さ”のせいだろう。
そして、結局、長く続けた「コンテンツ・ファイナンス」「クリエイション」のチャレンジは、ほとんど結実しないまま月日だけが過ぎていった。
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