話を古い友人に戻そう。

実は、彼を含め幼少期を共に過ごした仲間たちがおり、定期的に会合を持ってきた。
少し前の飲み会で、皆との会話の中で誰からともなくこんな話が出た。

「俺もこの年になると、この組織の中で行く末が見えちゃって」
「本当はこの会社じゃなくて、全く別のジャンルを選んで違う生き方を目指すべきだったかも」
「家族を大切にしているけれど、たとえ配偶者とはいえ、同じ価値観で生きているわけじゃない。この年になると孤独を感じるよね」
「だから、こういう古い友人たちとの邂逅に癒されるんだよ」等々等々・・・。
(こうやって文字にすると仰々しいが、決して悲壮なものではなく、気楽な話ができる仲間たちの酒が入った会話なので、もっと他愛ないニュアンスだったのだが。)

うんうん、だけどさ。

それ、俺は2007年に言ってるからね。
だからチャレンジしてきたんだぜ。全く成果が上がってないけど。
みんなも、そうすりゃいいだけじゃん。
そうはいっても、みんな、大過なく過ごして安定した老後を得るんだよね。
うらやましいなあ。

「世の中も、自分も、これまで通り変わらない。」

そうやって生きてきて、活きていこうとする彼らが、現在のところ「勝者」なのだ。
酒をあおった。“非モテ”が“リア充”を仰ぎ見るような、そんな苦い味がした。

少し前、別の友人から同種の飲み会のお誘いが有った。

「今、少し懐が寂しいし、ただ昔を懐かしむだけなら、今回は行かない」
「もし、(具体的案件を上げて)こういう情報交換ができるなら、ぜひ、参加したいけど」

と返した。
レスがないのが少し、寂しかったりする。

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