https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54882830X20C20A1MM8000/
いい、悪い、ではなく、金融ビジネスの進化の過程を感じるニュース。
実は、自分の知人のとある金融ビジネスの経営者は、この記事に書いてあるようなワンストップ型の金融サービスの立ち上げを画策していた。フロントに大きな人員を要さず、ほぼインターネットで完結できるビジネスモデルで、そこには送金サービスも含まれていた。その後どうなったかは知らないが、この記事は彼にとっては朗報なのだろうな。
昔からの大きな組織、つまり銀行だの証券会社だの保険会社だの、そういった枠組みが急速に“古く”なりつつあるのを感じる。
一方で、今回の動きは、それまでに蠢いていた「組織」から「個(人間)」へ、という流れも超えて金融サービスにディスラプション((創造的)破壊)を起こすものだ。
例えば、リテール向け証券ビジネスでは、これまで〇〇証券という、多くは総合証券会社に所属する営業マンが顧客と対面して金融商品の説明販売を行っていた。現在、IFAという独立系の(フロント・サイドの)営業マンがそういった大きな組織から離脱し、独立して自らの能力とネットワークで商いする生態系ができつつある。
しかし、今回の流れは、「組織」→「個(人間)」を超えて、「組織」→「システム(AIなど)」の動きを促進していきそうだ。
金融商品の販売にフロントで「個(人間)」が絡む場合、金融商品仲介業(IFA)の登録が必要で、IFA事業者などが複数の事業(保険など)を兼業で営もうとする場合は、保険募集人など個々に登録が要求される。要登録事業以外の兼業でもお上への事前申請が前提になるし、投資家保護の観点から金融検査もしっかりされるため、アドミ関連のコストもかかり、せっかく「個(人間)」の力や彼らの緩やかなネットワーク力で稼ぎたい、と思ってもなかなか難しい状況もあった。金融当局が「組織」→「個(人間)」の流れ自体に懐疑的なせいなのかな、と思ったりもしていた。
今回の「金融サービス仲介業」という新業種には「個(人間)」を介さない利点が満載だ。「利用者の預金残高などをもとに個人の需要に合った商品を提案することもできるようになる」と書いてあるが、過去の取引データや登録属性データ、あるいは許諾を受けた外部提供データなどと組み合わせたAIによるレコメンド機能などが想像される。
事前に顧客のリスク指向を調査しライフプランを描かせ、資金需要を見込ませ、あくまでも自己判断としての金融商品投資を促す。家計簿ツールなど外部データとの連携などでより顧客に“合った”商品提案を行っていく。血縁関係や親世代の資産状況なども考慮に入れるとより精緻な資金・投資金融商品需要が見込めるのかもしれない。
そうなると、やっぱり、いずれ多くの「個(人間)」は不要になるかな。当然、古い「組織」の機能も一部は「システム(AI)」に代替されるだろう。そんな未来はもう少し先かと思っていたが、来年あたりから加速度的に始まっていくのかもしれない。
さて、自分がこの記事で注目した点は、実はそんな感傷的な部分だけではない。
資金決済法の改正で、資金決済にかかわる業者を (1)100万円超の高額送金 (2)現行(※)と同じ (3)数万円までの少額送金――の3つに区分する、という点だ。
※銀行以外でも資金移動業の登録をとれば100万円まで送金事業を手掛けることができる
自分はここにも書いた通り、これからの金融および決済ビジネスは、コミュニティや特定の経済圏をベースに複数形成されるだろう、という予測を漠然としている(それに基づき、自分が動いているプランもある)。
デジタル通貨(決済手段)が乱立し吸収合併を繰り返しながら、決済データの収集を中心に個人データを集めて提供サービスを競うことで、金融ビジネスはe-コマースの一環に位置付けられることになるかもしれない、と思ったりする。
そういった決済ビジネスの道順が示された、ということなのだろう。
今回の記事は、自分を含めた金融をバックボーンにする多くの者(特にロートル)にとってはピンチな内容かもしれない。しかし、ピンチをチャンスにする気概を持って、新しい世の中を想定し、自らビジネスをクリエイトしたいし、願わくば自分のような考えに賛同してくれる人が増えてくれれば、と思う。
[…] 先日、このブログに『「金融サービス仲介業」のニュース』という文章を投稿して、「これからの金融および決済ビジネスは、コミュニティや特定の経済圏をベースに複数形成されるだろう、という予測を漠然としている」と書いた。 日本ではこの間書いたように、これから資金決済法の改正で決済業者を3段階に色分けすることから始めるようだ。シンガポールの金融通貨庁(MAS)は昨年の夏にネット専業銀行の免許を新規参入企業を募り、その結果がこの記事にあるレイザーあるいはグラブ、TikTokなど、になるわけだ。 シンガポール政府の対応は世の中に先んじていると思う。このレイザーやTikTokのケースでは、「エンタメやE-コマースのような独自サービス→コミュニティ化→電子マネーなど決済→銀行として複合サービス」、という動きになっている。順序がこうであるべきとか、佐護に行き着くのが銀行業務だ、などという気はない。むしろ、「コミュニティ」「経済圏」を軸に決済手段(その裏の個人情報)を握って、複合的に“つなげる”ビジネスの動きが、これから一気に、かつグローバルに展開していくであろう、と思う。 保守的な日本という国にいると、今の銀行のような古い形態の企業の側が、新しい企業を吸収して新たに展開していく、という発想が強い気がする。でも、それら古臭い巨大戦艦ではイノベーションは起こせない。日本と比べ平均年齢もぐっと低い東南アジアで展開する活力のあるこういう新サービスに、今後、日本のレガシー企業たちはあっという間に飲み込まれてしまうのかもしれない。そうでないことを祈りたいが。 先日、三菱UFJ銀行がこの記事にも出ているグラブ(東南アジア版Uber。すでにそれを軸に放射状的にサービスを広げている)に出資する、という記事が出ていた。日本はこのような形でしか存在感を示せないのだろうか。 自分がいま進めようとしている「アド・コマース」の取り組みが、正直、まったく期待通りにいかないので、忸怩たる思いだ。笛吹けど踊らず。いや、面前で笛吹けど音色など全く届いかないのだ。異次元空間で叫ぶような虚しさだ。 ソースは忘れたがユーチューブ動画で元NTTドコモ、現ドワンゴの夏野さんが「年功序列に象徴される、古い価値を改められない日本人のマインドセットを転換し、常に変化し成長を求める人物、動きを尊重する社会にするべきだ」「人間が成長を希求するかどうかは年齢ではない。若くても老成する人もいる。逆に、おっさん差別もやめるべき」という趣旨の発言をしていて、大いに同感した。でも、現実といえばどうだろう。 今の世の中は、会社や組織や代表される、「大きなもの・大樹」の中の一人一人の顔もわからないような人々の集合体が、「変わる必要? そんなものないね」「変わるべきなのはわかるが、自分には関係ない」「うちの組織が金にものを言わせればいいだけじゃん」といった漠然としたコンセンサスで“これまでの社会”を継続させようとしてきた。その結果が日本の「失われたウン10年」だ こんなむなしさを抱えたまま、届かない笛を吹き続けるのに、そろそろ疲れてきたよ。目指す山頂はなお遠く、あくまで行く道は沼地のぬかるみの中にある。このまま沈んでいってしまうのか。 あまりネガティブな内容で終わるのはよくないので、一方で、身近にあるいい話を。長年の知り合いで、大手金融機関に勤める個人向け資産アドバイザリーのプロの方が、長らく会社を離れた立場で仲間を集めて様々な分野の勉強会をされてきた。彼曰く、今後はもっと外部発信も行い、“個”(あるいは“個”の連携)として新たなビジネスチャンスの機会も探っていきたい、とおっしゃっている。世に出回っているユーチューブ動画なども色々見て、子供にも話を聞いて研究を重ねているそうだ。 前のブログ記事にも書いたが、今後、今の金融の人は、自らがいろいろなビジネス(あるいはビジネスの芽)を顧客につなぐ“ハブ”となるべきだと思っている。その動きと、すぐに来るであろう「ビッグデータを介したAIでのマッチング」との顧客獲得合戦のせめぎあいに、彼らは生き残っていかなければならない。 そういう意味で、この知人の活動はとても素敵な動きだと思う。よく自分も含め「バブル世代」などと「層」で語られるが、その中の「個」「個」が力を発揮しながら、連携もしながら新たな価値創造を継続していくことができれば。若い人からも虚心坦懐に学び、一緒になって新しいムーブメントが起きてくれば・・・いい世の中になると思うのだが。 […]
[…] 先日、このブログに『「金融サービス仲介業」のニュース』という文章を投稿して、「これからの金融および決済ビジネスは、コミュニティや特定の経済圏をベースに複数形成されるだろう、という予測を漠然としている」と書いた。 日本ではこの間書いたように、これから資金決済法の改正で決済業者を3段階に色分けすることから始めるようだ。シンガポールの金融通貨庁(MAS)は昨年の夏にネット専業銀行の免許を新規参入企業を募り、その結果がこの記事にあるレイザーあるいはグラブ、TikTokなど、になるわけだ。 シンガポール政府の対応は世の中に先んじていると思う。このレイザーやTikTokのケースでは、「エンタメやE-コマースのような独自サービス→コミュニティ化→電子マネーなど決済→銀行として複合サービス」、という動きになっている。順序がこうであるべきとか、佐護に行き着くのが銀行業務だ、などという気はない。むしろ、「コミュニティ」「経済圏」を軸に決済手段(その裏の個人情報)を握って、複合的に“つなげる”ビジネスの動きが、これから一気に、かつグローバルに展開していくであろう、と思う。 保守的な日本という国にいると、今の銀行のような古い形態の企業の側が、新しい企業を吸収して新たに展開していく、という発想が強い気がする。でも、それら古臭い巨大戦艦ではイノベーションは起こせない。日本と比べ平均年齢もぐっと低い東南アジアで展開する活力のあるこういう新サービスに、今後、日本のレガシー企業たちはあっという間に飲み込まれてしまうのかもしれない。そうでないことを祈りたいが。 先日、三菱UFJ銀行がこの記事にも出ているグラブ(東南アジア版Uber。すでにそれを軸に放射状的にサービスを広げている)に出資する、という記事が出ていた。日本はこのような形でしか存在感を示せないのだろうか。 自分がいま進めようとしている「アド・コマース」の取り組みが、正直、まったく期待通りにいかないので、忸怩たる思いだ。笛吹けど踊らず。いや、面前で笛吹けど音色など全く届いかないのだ。異次元空間で叫ぶような虚しさだ。 ソースは忘れたがユーチューブ動画で元NTTドコモ、現ドワンゴの夏野さんが「年功序列に象徴される、古い価値を改められない日本人のマインドセットを転換し、常に変化し成長を求める人物、動きを尊重する社会にするべきだ」「人間が成長を希求するかどうかは年齢ではない。若くても老成する人もいる。逆に、おっさん差別もやめるべき」という趣旨の発言をしていて、大いに同感した。でも、現実といえばどうだろう。 今の世の中は、会社や組織や代表される、「大きなもの・大樹」の中の一人一人の顔もわからないような人々の集合体が、「変わる必要? そんなものないね」「変わるべきなのはわかるが、自分には関係ない」「うちの組織が金にものを言わせればいいだけじゃん」といった漠然としたコンセンサスで“これまでの社会”を継続させようとしてきた。その結果が日本の「失われたウン10年」だ こんなむなしさを抱えたまま、届かない笛を吹き続けるのに、そろそろ疲れてきたよ。目指す山頂はなお遠く、あくまで行く道は沼地のぬかるみの中にある。自分はこのまま沈んでいってしまうのか。 あまりネガティブな内容で終わるのはよくないので、一方で、身近にあるいい話を。長年の知り合いで、大手金融機関に勤める個人向け資産アドバイザリーのプロの方が、長らく会社を離れた立場で仲間を集めて様々な分野の勉強会をされてきた。彼曰く、今後はもっと外部発信も行い、“個”(あるいは“個”の連携)として新たなビジネスチャンスの機会も探っていきたい、とおっしゃっている。世に出回っているユーチューブ動画なども色々見て、子供にも話を聞いて研究を重ねているそうだ。 前のブログ記事にも書いたが、今後、今の金融の人は、自らがいろいろなビジネス(あるいはビジネスの芽)を顧客につなぐ“ハブ”となるべきだと思っている。その動きと、すぐに来るであろう「ビッグデータを介したAIでのマッチング」との顧客獲得合戦のせめぎあいに、彼らは生き残っていかなければならない。 そういう意味で、この知人の活動はとても素敵な動きだと思う。よく自分も含め「バブル世代」などと「層」で語られるが、その中の「個」「個」が力を発揮しながら、連携もしながら新たな価値創造を継続していくことができれば。若い人からも虚心坦懐に学び、一緒になって新しいムーブメントが起きてくれば・・・いい世の中になると思うのだが。 […]
[…] 先日、このブログに『「金融サービス仲介業」のニュース』という文章を投稿して、「これからの金融および決済ビジネスは、コミュニティや特定の経済圏をベースに複数形成されるだろう、という予測を漠然としている」と書いた。 日本ではこの間書いたように、これから資金決済法の改正で決済業者を3段階に色分けすることから始めるようだ。シンガポールの金融通貨庁(MAS)は昨年の夏にネット専業銀行の免許を新規参入企業を募り、その結果がこの記事にあるレイザーあるいはグラブ、TikTokなど、になるわけだ。 シンガポール政府の対応は世の中に先んじていると思う。このレイザーやTikTokのケースでは、「エンタメやE-コマースのような独自サービス→コミュニティ化→電子マネーなど決済→銀行として複合サービス」、という動きになっている。順序がこうであるべきとか、最後に行き着くのが銀行業務だ、などという気はない。むしろ、「コミュニティ」「経済圏」を軸に決済手段(その裏の個人情報)を握って、複合的に“つなげる”ビジネスの動きが、これから一気に、かつグローバルに展開していくであろう、と思う。 保守的な日本という国にいると、今の銀行のような古い形態の企業の側が、新しい企業を吸収して新たに展開していく、という発想が強い気がする。でも、それら古臭い巨大戦艦ではイノベーションは起こせない。日本と比べ平均年齢もぐっと低い東南アジアで展開する活力のあるこういう新サービスに、今後、日本のレガシー企業たちはあっという間に飲み込まれてしまうのかもしれない。そうでないことを祈りたいが。 先日、三菱UFJ銀行がこの記事にも出ているグラブ(東南アジア版Uber。すでにそれを軸に放射状的にサービスを広げている)に出資する、という記事が出ていた。日本はこのような形でしか存在感を示せないのだろうか。 自分がいま進めようとしている「アド・コマース」の取り組みが、正直、まったく期待通りにいかないので、忸怩たる思いだ。笛吹けど踊らず。いや、面前で笛吹けど音色など全く届いかないのだ。異次元空間で叫ぶような虚しさだ。 ソースは忘れたがユーチューブ動画で元NTTドコモ、現ドワンゴの夏野さんが「年功序列に象徴される、古い価値を改められない日本人のマインドセットを転換し、常に変化し成長を求める人物、動きを尊重する社会にするべきだ」「人間が成長を希求するかどうかは年齢ではない。若くても老成する人もいる。逆に、おっさん差別もやめるべき」という趣旨の発言をしていて、大いに同感した。でも、現実といえばどうだろう。 今の世の中は、会社や組織や代表される、「大きなもの・大樹」の中の一人一人の顔もわからないような人々の集合体が、「変わる必要? そんなものないね」「変わるべきなのはわかるが、自分には関係ない」「うちの組織が金にものを言わせればいいだけじゃん」といった漠然としたコンセンサスで“これまでの社会”を継続させようとしてきた。その結果が日本の「失われたウン10年」だ こんなむなしさを抱えたまま、届かない笛を吹き続けるのに、そろそろ疲れてきたよ。目指す山頂はなお遠く、あくまで行く道は沼地のぬかるみの中にある。自分はこのまま沈んでいってしまうのか。 あまりネガティブな内容で終わるのはよくないので、一方で、身近にあるいい話を。長年の知り合いで、大手金融機関に勤める個人向け資産アドバイザリーのプロの方が、長らく会社を離れた立場で仲間を集めて様々な分野の勉強会をされてきた。彼曰く、今後はもっと外部発信も行い、“個”(あるいは“個”の連携)として新たなビジネスチャンスの機会も探っていきたい、とおっしゃっている。世に出回っているユーチューブ動画なども色々見て、子供にも話を聞いて研究を重ねているそうだ。 前のブログ記事にも書いたが、今後、今の金融の人は、自らがいろいろなビジネス(あるいはビジネスの芽)を顧客につなぐ“ハブ”となるべきだと思っている。その動きと、すぐに来るであろう「ビッグデータを介したAIでのマッチング」との顧客獲得合戦のせめぎあいに、彼らは生き残っていかなければならない。 そういう意味で、この知人の活動はとても素敵な動きだと思う。よく自分も含め「バブル世代」などと「層」で語られるが、その中の「個」「個」が力を発揮しながら、連携もしながら新たな価値創造を継続していくことができれば。若い人からも虚心坦懐に学び、一緒になって新しいムーブメントが起きてくれば・・・いい世の中になると思うのだが。 […]
[…] フェイスブックに限らず、今、多くのIT企業は広い意味での「金融業者」になろうとしている。 これまでこのブログでは、この「『金融サービス仲介業』のニュース」ほかで折にふれてこれからの金融および決済ビジネスは、コミュニティや特定の経済圏をベースに複数形成されるだろう、と書き綴ってきた。特に有力なe-コマースやコミュニティ(toC)系IT企業はすべて独自の決済機能を持つ「金融関連企業」になる可能性がある。 […]
[…] 昨年の1月にこのブログで「『金融サービス仲介業』のニュース」という記事を書いた。 […]
[…] 昨年の頭に「シンガポールのネット銀行にe-スポーツ企業が参入」や「『金融サービス仲介業』のニュース」で書いた通り、世界中でいろいろな企業が「独自決済」を絡めた「独自経済圏」獲得の取り組みにチャレンジし続けている。 このサービスプラットフォーム上には小口融資やファンド購入などの金融サービスが、ある意味「e-コマースの一部」として提供されている。 このブログで何度となく書いているとおり、今、“金融側”に住んでいる人たちは、彼らに飲み込まれてしまう未来も有るかもしれない。 (かもしれない、ではなく、自分はそう強く懸念している) […]